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『大事なことは全部「ドラえもん」から教わった』―凍りのくじら


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凍りのくじら (講談社文庫)

 

 『大事なことは全部「ドラえもん」から教わった』

第27回吉川英治文学新人賞候補作である「凍りのくじら」。藤子・F・不二雄の作品である「ドラえもん」に登場する数々の道具とともにストーリーが展開していく。

登場人物だけではなく、わたしたちにもなじみ深い「ドラえもん」。その道具のおかげで「凍りのくじら」の物語が少しだけ身近に感じ、その世界に容易に入り込むことができる。

 

 

凍りのくじら

 

あらすじ 

藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な”道具”が私たちを照らすとき――。

 

目次 

 

     プロローグ

第1章  どこでもドア

第2章  カワイソメダル

第3章  もしもボックス

第4章  いやなことヒューズ

第5章  先取り約束機

第6章  ムードもりあげ楽団

第7章  ツーカー錠

第8章  タイムカプセル

第9章  どくさいスイッチ

第10章 四次元ポケット

     エピローグ

 

 

別所あきらのことば

 

理帆子に写真を撮らせてほしいと頼んだ別所あきら。わたしは彼のことばがすごく好きで、日常生活でもたびたび思い出すことがある。

 

男女の組み合わせ

『日常見掛ける男と女の二人連れという組み合わせが、恋人同士かどうか。その確率ってどれくらいだろうね――僕はだいたい恋人である可能性が七、それ以外が三ぐらいだと思ってるけど。このフロアに今いるカップルたちもそんなもんだろうし、たとえ恋人同士であってもうまくいってるかどうかは更に半々じゃないかな』

 

このセリフを読んでから、街を歩いているとき、ファーストフード店にいるとき、「この男と女の二人連れは、どういう関係なんだろう」と常に考えるようになりました。

男と女の二人連れ、安直に考えると恋人という関係性がいちばんしっくりくる。けどきっと、世の中はそんなに単純じゃない。

 

女のストーカーと男のストーカー

『女のストーカーは相手に対する曲がった愛情によってそうなる。だから素質としては、思い込みの強さや突拍子のなさがどの程度かってことになると思う。そして、男のストーカーというのは、自尊心の高さによってそうなる――彼らは傷つけられた自尊心を取り戻すために躍起になるんだ。俺を馬鹿にした事実、振ったという事実、それをなかったことにしろ、というような』

 

これはタイムリーな問題だったから、わりと頭にこびりついています。

この考え方はすぅっと頭に入ってきた。ストーカーは質が悪い。 

 

理帆子を救ったことば

『二十二世紀でも、まだ最新の発明なんだ。海底でも、宇宙でも、どんな場所であっても、この光を浴びたら、そこで生きていける。息苦しさを感じることなく、そこを自分の場所として捉え、呼吸ができるよ。氷の下でも、生きていける。君はもう、少し・不在なんかじゃなくなる』

 

このへんから辻村ワールドに引き込まれていって、 鳥肌が立ちました。

わたし別所あきらが大好きだと認識したのがこのセリフ。

 

 

わたしが感じたこと

 

読み始めてすぐ、「あれ?辻村さんってこんなに現実味のある小説も書くんだ」という感想を持ちました。

でも、最後の最後。ほんとうに最後。「あぁ、やっぱり辻村さんの小説だ」って。

 

物語の登場人物の何人かは「ドラえもん」の道具を持っていて、それはわたしたちにも当てはめることができる。形じゃなくて一人一人の個性。

そう考えると、「ドラえもん」はずっと先の未来の話なんかじゃなくて、もしかすると現実世界を面白おかしく描いたものなのかもしれない。

 

わたしが持っている道具はなんだろう。

わたし自身が持っている道具を探しに、「ドラえもん」の世界をもっと知りたい。

この小説を読むと、きっと「ドラえもん」が好きになる。